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房総の城と城下町の歴史に触れよう! 【千葉県立中央博物館 大多喜城分館】
■館の紹介
当館は、「房総の城と城下町」を常設展のテーマとした歴史博物館で、房総の中世・近世の城郭とそれに関わる武器・武具や調度品・古文書及び武家社会や城下町の生活などに関する資料を展示しています。
■沿革
当館は、千葉県指定史跡「上総大多喜城本丸跡」に昭和48年建設工事着工、50年3月竣工、館内整備を経て同年9月10日城郭様式(3層4階の鉄筋コンクリート造)の千葉県立総南博物館として開館しました。
昭和58年には普及活動の場として、隣接地に研修館を建設しました。
平成18年4月からは千葉県立中央博物館の大多喜城分館となっています。
■大多喜城の歴史
大多喜の中世の頃の地名は、資料の中に小田喜と見られますので、大多喜城も、その頃は小田喜城ないしは小田喜の城と呼ばれていたと思われます。
16世紀の前半代に武田氏が入城したと言われていますが、天文期(1532~1555)に安房の里見氏の重臣であった正木氏が入り、以後4代にわたり、上総正木宗家の居城として発展します。
その後、1590年(天正18年)に北条氏の小田原城が豊臣秀吉に攻め落とされると、徳川家康は江戸城に入り、小田喜城を家臣の本多忠勝に与えて安房の里見氏の勢力をおさえようとしました。
当時の城のようすについて、1609年(慶長14年)にここを訪れたスペイン人のドン・ロドリゴは、「城は高台にあって濠に囲まれ、城門は大きく全て鉄でできており、厳重に警戒されている。また、城の内部は金や銀の配色で美しく、立派な武器庫もあった。」(日本見聞録)と、驚いています。
城主は本多氏3代のあと、阿部・青山・稲垣氏へと引継がれ、1703年(元禄16年)松平(大河内)正久となりました。松平氏は9代続き廃藩置県を迎えます。
千葉県立中央博物館 大多喜城分館の写真
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【その他】 大多喜城分館では、房総の中世・近世の城郭とそれらに関わる武器・武具や調度品・古文書及び武家社会や城下町の生活などに関する資料を収集し、調査研究をしています。
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【その他】 調査・研究紹介
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